お正月は、日常の「ケ」の日に対し、特別な「ハレ」の日とされます。一年の邪気を払い、新しい年の福を招き入れるための年迎えの行事が続きます。
年越しの行事 「大晦日」から「小正月」まで
12月31日 大晦日
月末最後の日を「晦日(みそか・つごもり)」というので、12月31日を「大晦日」といいます。年神様を元旦に迎えるため、この日は寝ないでお正月を待つ地域もあるようです。
神社では一年の罪やケガレを払う「大祓え」(おおはらえ)という行事が行われ、お寺では人が持つといわれる108の煩悩を絶つために除夜の鐘をつきます。
農家では、この一年に使ってきた道具をきれいに洗い、土間に並べ、切り餅を供えてお灯明をあげました。切り餅は「よく切れるように」という願いが込められています。
一般では、1年の締めくくりとして「年越しそば」が食べられました。
江戸時代、そばが脚気封じになるとして町人の間に広まったという事情もありますが、縁起物として節分ごとに「そば」を食べるという風習もあったようです。
おそばは、ゆでるときによく切れたところから、悪い縁を切る縁起のいい食べ物とされていたためで、大晦日の他に、節分や桃の節句などでもおそばを食べる地域があります。
この他、細く長いそばのように長寿を祈るという意味や、金細工の職人が飛び散った金粉をそば粉で作った団子を使って集めていたことから、「金を集める」ということで縁起がいい食べ物という意味もあるようです。
1月1日 初詣
年始となる正月一日です。1月1日が正月となったのは、漢の武帝が「史記」にもとづいて「夏歴」を復活させたことに寄ります。立春に近い新月の日で、ここから春が始まるというわけです。
除夜の鐘が終わって日が改まると、初詣でをして一年の幸せを祈願します。
「二年参り」といって、大晦日の晩から元旦にかけて詣でる人もいるようですが、初詣をする時期は松の内(1月7日)から遅くとも小正月(1月15日)までとされています。
現在はそれほど気にされていませんが、住んでいる地域の氏神様、もしくはその年の恵方(えほう:年神様のいる方向)に当たる神社に詣でるとよいと言われています。
1月1日 元旦
1月1日の朝を指します。年神様は日の出とともに訪れる(降臨する)と考えられていたため、「元日」(1月1日のこと)とは別に朝を限定して表現する必要があったようです。
元日の朝、初めて汲む水は「若水」(わかみず)と呼ばれ、この水を飲むと一年の邪気を払うと言われています。
若水はまず神棚に供えられ、その年初めておこした火を使って雑煮が作られます。雑煮には、年神様に供えた餅が入り、家族そろって頂くことで無病息災を願います。
そして、祝い膳の前に、家族の健康と幸福を祈ってお屠蘇をいただきます。
明治以降は日の出が重視され、「初日の出を拝むと願いが叶い、一年を健康に過ごせる」として、遮るものがない海や、より早く初日の出が拝める高い山へ出かける人が増えていきます。
1月1日~1月2日 初夢
元日の夜、夜通し起きている場合は二日の夜に見る、最初の夢を「初夢」といって、一年の運勢を見る風習です。
いい夢を見るために、悪い夢を食べてくれる伝説の獏(ばく)を紙に描き、枕の下に敷いて寝るというおまじないが平安貴族の間にあったのですが、江戸時代にはこれが宝船になり、七福神が描かれるようになります。
元日には、こうした絵を「宝船売」と呼ばれる物売りが売り歩きました。
1月1日~1月3日 三が日
1月1日から1月3日までの三日間を「三が日」(さんがにち)といいます。お屠蘇、お雑煮、おせち料理といったお正月料理を頂いて新年を祝う期間です。年賀を交換し、賀客には年酒をすすめます。
この間、掃除や洗濯は控えるとするところが多いようです。特に元日の玄関の掃き掃除は「福を払う」として嫌われます。その代わりゴミは拭きとるようにします。拭き掃除は「福」(拭く)に通じるというわけです。
洗濯も福を流してしまうということで元日は避け、その他は部屋干しなどで人目に立たないようにします。
1月2日 お年始、お年賀
最近では少なくなってしまいましたが、実家や親戚、仕事の上司など、日頃、お世話になっている人を訪問し、新年の挨拶をします。
期間は、松の内までが目安となります。
1月2日 仕事始め
年が明けて、1月2日に普段の仕事を形式的に行う習わしです。その年の労働の安全や技能の上達を願うという意味があります。
鍬初め、商い初め、初山入りなどがあります。
1月2日 書き初め
平安時代に行われた「吉書初め」(きっしょぞめ)がもとになっていると言われています。元旦の早朝に汲んだ「若水」で墨をすり、恵方に向かって祝賀や詩歌を書いた宮中行事です。
新しい紙に新年の抱負や目標をしたためて、神前に奉納したり、小正月に行われる左義長(さぎちょう)でお正月飾りとともに燃やして文字の上達を祈ります。
1月6日 六日年越し
七日正月は、江戸時代の武家社会では五節句の一つ、「人日(じんじつ)」の日として公式行事とされる重要な祝日の一つです。
1月6日はその日を前に、夕方から「六日年越し」として祝いました。七日正月は元日正月の終わりであり、十五日正月の始まりともされ、一つの大きな区切りとなっていました。
翌日の七草がゆを準備するのは、この六日年越しです。
1月7日 七日正月(松の内)
従来、1月15日の小正月までを松の内としてお正月飾りがされていたようですが、寛文のころ江戸幕府より1月7日をもって飾り納めとする通達があったことから、この日までを「松の内」とする風習が広まったようです。
武家社会では、1月7日は五節句の一つ、「人日の日」(じんじつのひ)という公式行事が行われる区切りでもありました。
この松の内の間までが、年始の挨拶や年賀状のやりとり、初詣でを済ませる目安となります。
古代中国では元旦から7日目に「人日の節句」(じんじつのせっく)が行われ、この日に七種菜羹(ななしゅさいのかん:7種類の若草を入れた汁物)を食べて無病息災を願う風習がありました。これが日本に伝わり、古来から行われていた「若草摘み」の風習と結びついて七草がゆが生まれました。
玄関を飾っていた門松は、しめ縄やしめ飾りといった飾り物と一緒に片付け、小正月(1月15日)の左義長(どんど焼き)で燃やしてお正月様を見送ります。
1月11日 鏡開き
神様の依代として供えてきた鏡餅をさげて鏡開きとし、下げた鏡餅をみんなで頂くことで年神様の御利益を受け取ります。このため刃物で切ることはせず、木槌や金槌でたたいて割ります。
7日を松の内とする地域では11日に鏡開きをしますが、15日に小正月を迎える地域では、15日に鏡開きをする所もあるようです。
「二十日正月」を正月の祝い納めとする地域では、20日に鏡開きをする所もあります。
1月14日 十四日年越し
小正月の前日である14日の夕方から「十四日年越し」として祝いました。花餅や繭玉飾り、粟穂稗穂をといった豊作祈願の飾り物が作られ、座敷が華やかに飾り付けられます。
そして、神棚や仏壇をはじめ、井戸の神様など、家のあらゆる場所にいる神様に十四日年越しの供え物が供えられます。
1月15日 小正月
旧暦でちょうど望月を迎えるころ、古くはこの時期を正月としていたことから、1月1日を「大正月」と呼ぶのに対し、1月15日を「小正月」と呼びます。
古い歴史を持つだけあって、地方を中心に農耕と深くかかわる伝統行事が行われます。
豊作を祈る餅花を床の間などに飾り、小豆粥を食べ、無病息災を祈ります。赤い色をした小豆は古くから「邪を払う」とされる縁起物とされてきました。
この日、正月飾りや書き初めなどを燃やす神事、左義長が行われます。この煙にのって、年神様は天上へ帰っていくとされていました。この行事を持って正月事仕舞いとされます。
1月20日 二十日正月
1月20日をもって正月の終わりとする地方もあります。正月の祝い納めとして餅や正月料理を食べつくし、お正月の飾り物をこの日に片付けます。
2月8日 こと始め
2月8日は「こと始め」。年神様を迎えるための正月行事が終わり、この日から日常生活が始まります。
東日本を中心に、この日に針供養が行われるのですが、この日は妖怪や厄神が訪れるとされ、身を慎む日ということで、一日、針に触れないようにして過ごします。
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